日本文化「能」との出会い
- 松 本
- 海外へ出るにあたって、ミラノを選ばれたのはなぜでしょう。
- 丸 山
- 親しくしていた友人が行っていたんです。で、彼の作品を見たらあんまり変わっていたので、びっくりしましてね。当時はイタリアの彫刻の魅力にひかれていましたし、他には目が行かなかった。
- 松 本
- 足かけ10年もミラノにいらして、なおかつ、そこからドイツへ。両国合わせると20年近くですね。彫刻をつくる環境として、ヨーロッパの2つの国で違いはどう感じましたか。
- 丸 山
- イタリアって開かれた社会のように見えますが、ドイツと比べると反対ですね。人間関係が閉じているというのか。もう一つ、当時のミラノは、文化がすごく沈んでいた時代でした。そういう中で感じたのは「私は日本人です」ということ。向こうの人は、仏法とか、日本のことをいろいろ聞いてくるんです。でも答えられない。日本人なのに日本の文化を何も知らなくて、どうやって向こうの(物差しで)文化を測るのかと気づいたんです。それから日本の文化を勉強し始めました。
- 松 本
- ミラノの美術アカデミーでは、卒論で「能」について書かれましたね。それはイタリアでの体験からでしょうが、それまでも能とかお好きだったんですか。
- 丸 山
- いえ。ミラノで「日本年」というフェスタがあって、能役者がお能を見せてくれたんです。これはすごいなと。卒業論文のためにちょっと勉強してみようと。実際に勉強すると、方法論がすごく彫刻的なんですね。というのは、能というのは役者が男の人です。多くの場合、優雅な女の人を表現する劇であって、優雅な女を男が演じなくちゃいけない。さらに堅い着物を着せることによって、二重の不自由を強いる。簡単に表現ができない状態に役者を追い込むことによって、役者は、エッセンスだけ取り出すことを強制されるわけですね。それはまさに彫刻がそうです。紙に書くわけでなくて、物質としての石とか粘土とか木とか、実際の物を使って形にしなくちゃいけないと、いろいろな制約が出てくるんです。
- 松 本
- 人間からすると思いどおりにいかない、物質の側の抵抗もあるでしょうね。
- 丸 山
- その時に思ったのは、今使える材料の中で不自由な物って何だろうと。ミラノで一番身近だったのは石膏です。石膏は簡単そうに見えるかもしれないけど、水に溶いて使うと粘土のように形にはならないんです。すごく不便な材料でもある。ですから、日本の大学でやっていた粘土のテクニックは使えない。そうやって自分を追い込むことによって、本当に何をしたいのかを見つけようと。
- 松 本
- そしてドイツへ。もうフリーなアーティストという立場でですね。ずいぶん変わりましたでしょう。大学に通うわけでもなく、制作や発表のための人間関係も一からつくらなければならない。
- 丸 山
- そうですね。言葉もできませんから、手探り状態で。妻のつてでフェルバッハという町に移りましたが、そこで市から紹介されたりして、知り合う人たちができました。
- 松 本
- 丸山さんの作品は、木彫であれブロンズであれ、膨らみとか反り、ねじれとか…作品の精度の高さにドイツ人は参ってしまうだろうなという感じがするんです。どうでしたか、反応は。
- 丸 山
- やっぱり日本人の作品だと言われましたね。東洋的だと。
- 松 本
- どこが日本的、東洋的なんでしょうね。形の洗練とかでしょうか。
- 丸 山
- たぶんそういうことだとは思うんですが、持っている雰囲気がやっぱり違うと思うんですね。空気感というか、たたずまいが。彫刻というのは、置くことによって空間をつくりますから、そういう意味では、空間の質が違うんだと思うんですね。
- 松 本
- 丸山さんの作品は、本当に、趣がやっぱりありますね。外に向かって腕を振り回すような作品ではないし、饒舌か寡黙かと言えば、静かにしっとりという感じだし。何と言うか、傷痕とか、あばたとか、そういったことも含めて、どの表面もどの稜線も、コンマ1ミリと動かせない形の決まり方とか、その精度に目が行ってしまう。そういうところが、きっとドイツ人は好きだろうなと(笑)。
東洋思想を彫刻にうつし出す
- 松 本
- イタリア10年間の最後のころの作品で、肩や腰がブロック化された人の姿。写実的な人物像とはずいぶん違う方向に到達しましたね。日本で基本的には人物像から始めていらっしゃるけれども、抽象化というのとも違いますね。イタリア時代の彫刻家としてのご苦労は?
- 丸 山
- 表現するモチーフが、感情的ではなくて、理論的なことに変わってきたと思います。能を勉強して変わりましたね。フランスの劇作家いわく、西洋の舞台は「何かドラマが起こる」。ところが能はドラマではなく「誰かが来る」んだと。その人そのものがそこに現れる。ですから、能はストーリーもすごくシンプルですね。そういう意味では、まさに人間存在そのものを表していて、彫刻に似ているわけです。だから、能の表現の仕方をどうにか作品に入れたいと考えていけば、当然テーマもどんどん変わります。今までみたいに、ぼやっとした苦しみとか、そういう感情的なことではなく、「ある」とはどういうことかというところに行き着いたんです。どういうふうに人間が人間として存在しているのかということを、構造的に理解しようとしたわけです。
- 松 本
- 丸山さんが以前に「そぎ落とすような単純化ではなく、包み込むような単純化」とおっしゃったことがあるんです。禅の公案のようですが、丸山さんの作品を目の前にするとこの言葉は分かりやすい。ところが、丸山さんの作品以外にそういう単純化が見当たらないものだから、そういえばと、能のお面のことを思い出しました。能のお面の顔は、怒りなのか悲しみなのか、ある意味全てを含んでいる。個別の感情ではなく、全てを抱きかかえたような表情という意味で、能面みたいなことかなと思ったんですが。
- 丸 山
- 人間の形をそぎ落としていけば、線になりますけれども、そうでなくて、形の全てを含めるような、大きな枠みたいな感覚なのかな。
- 松 本
- そぎ落とした排他的な単純化ではなく、寛大ですべてを抱きかかえるような抽象。なるほど、それでこういう彫刻が出てくるんですね。しっくりきます。そういう言葉は他で聞いたことがないんですが、何か出どころがありますか。
- 丸 山
- 出どころは東洋思想ですね。端的に言えば仏法です。仏法の中には、「ある」とはどういうことなのかが説かれています。例えば人間、世間というのは差別であり、それぞれが違う。それぞれシチュエーションも顔も、コンディションも違います。でも、ともに、今現在、ここにあるわけです。
- 松 本
- 仏法、それから能といったものが持続的に制作の指針になっているのはよく分かりました。改めて、大きなテーマとして「存在」、それから「存在-関係」。つまりテーブルとかノートとか、物体の場合には、「関係性」から離れて存在はあり得ますね。ところが人間の場合、周囲の空間や人と、関係をもたずに存在するということはあり得ない。この「存在-関係」、つまり「人間存在すなわち関係」というフレーズは、丸山さんご自身が提起したものでしょう。これもやはり仏法ですか。
- 丸 山
- そうです。だって、どう生きるかをテーマにしているのが仏法ですからね。死んでからの話ではなくて、今、どう生きるか。それは誰にとってもすごく重要な話だと思います。
- 松 本
- 不思議なものですね。ヨーロッパ人から見ると東洋的だと。しかし、丸山さんから直接お話を聞かなければ、僕は決して東洋的とか日本的とか、そうは受け取れなかった。
- 丸 山
- 理論的なこのやり方や考え方は、ヨーロッパの物の考え方、それから美術史も学んだ中から組み立ててきたことですから、当然、東洋だけではない、私自身の人生です(笑)。
- 松 本
- それからもう一つ。表面の傷痕とかささくれとか、時間の経過の刻印を負ったもの。この、時の流れの痕跡というか、表面処理はどんな意味を持つのでしょうか。
- 丸 山
- 表面をきれいにすることには、私は抵抗があります。一つ一つを刻んでいく、形をつくっていく上で痕跡を残す、そういうことはたぶん、「祈り」でもあるのかな。全く削ってしまったら冷たくなってしまいます。どこで止めるかというのが、作品を生かすことでもあるわけです。やっぱり残したいんです、自分の手の痕跡をね。少しずつ残して、どこで止めるのかっていうことが、すごく大事です。それが僕にとっての祈りということです。
作品を感じる・分かるためには
- 丸 山
- 私たちは、表現をするために、「選ぶ」ことをしています。どういう物質を使って、どういう色にして、どういうざらざらにするのかということは、全て一つの言葉ですね。それは僕は西洋から学んだことで、抽象という作業はそういうことだと僕は思います。抽象というのは作家が形を決めるわけですけれども、その中に感情なり考え方を含めるには、色とか、表面の軟らかさとか、そういうものを使って言葉にしていくわけです。
- 松 本
- 現実を、線や色の言葉に翻訳するということですね。
- 丸 山
- それは全て作家が選ぶ行為です。テクニックではなく、選ぶということがすごく大事だと僕は思いますね。
- 松 本
- 「形というのは、最後の最後に出てくるものだ」ともおっしゃっていましたね。それ以前に長い選択とか思考があって、最後に形が生まれると。ところが見る側は、形から入ります。入口はそこしかないんです。形に終始すると、作品を見たことにならないということなんでしょうけど。
- 丸 山
- どうでしょうか。当然、感じることが必要ですけど、感じるためにはやっぱり情報が必要ですよね。見る側も、見てすぐ分かるわけではないと思います。音楽で言えば、クラシックとポピュラーソングの違い。私たちが耳を澄まして聞いて近づこうとすることによって、クラシック音楽って、扉を開けてくれると思うんですね。歌謡曲とかは簡単に耳から抜けますけれども。そういうことだと僕は思います。ですから、お互いに、見る側もそれなりに近づく努力が必要なんだと思います。
- 松 本
- 美術史を研究する者は、作家の作品を理解するヒントになる言葉を見つけること自体が仕事なんですが、丸山さんの場合、ご自分でテーマをくっきりとした言葉にされているので、美術史家のやることがなくなっちゃう(笑)。「存在とは関係なり」というのは、丸山さんの作品を読み解くキーワードになるだけじゃなく、人間の社会において、存在は関係を離れてはあり得ないという意味でも、とても重要だと思いますね。
- 丸 山
- 語弊があるかもしれないけど、祈りですね。
- 松 本
- 「祈り」か、またですね(笑)。いずれにしても、面の表情の微妙な変化、あるいは2つの物体の微妙なズレや距離感に、人間の存在のあり方を表す作品。しかも一人で存在することも、過去と離れて存在することもあり得ない、人間の独特のあり方を、言語とは全く違った形で、たたずまいや光と影によって簡潔に述べてくれている。本当に他に例のない作家だという印象を深くしています。
さてそろそろ最後ですが、回顧的な展示と新作の展示の二つからなる今回の個展は、なぜそのように? - 丸 山
- たぶん皆さん、彫刻ってあんまり親しみがないですよね。抽象といっても、取っかかりが難しい。そういう意味で、私の仕事がどう変わっていったかをたどれば、ある程度、近づけるのかなと思います。片方は、本来展示したい方法で。もう一つは、少し皆さんに対して親切に(笑)。
- 松 本
- さっきの話で、形は最後の最後に出てくると。ところが見る側からすると形こそが入口で、そこから探らなくちゃいけない。大いに探究の手がかりになるような気がしますね。僕も楽しみです。
では最後に、企画展にあたって、皆さんへのメッセージを言葉にしたら、どんな感じでしょうか。 - 丸 山
- 何だろう、生活を楽しんでください、かな(笑)。例えば、人を家の中に入れるのは大事だと思います。人を家に入れるには、やっぱり少しきれいにしたり、飾りつけますよね。そうすると、その中で物を選んでいく。物を選ぶのは、趣味とか考え方が元になりますから、まさに自分のプレゼンテーションです。絵とか文化的なものも入る。だから、ホームパーティーはすごくいい。ヨーロッパでは普通なんですよね。
新しい人が来たら呼ぶ。世代の違う人たちが集まって、いろいろな会話ができて、当然、文化も育つわけです。そういう環境をつくるべきだし、お金だけを勘定している世界ではちょっと寂しいですよね。
聞き手 信濃美術館館長 松本 透 氏
TORU MATSUMOTO